chike0905の日記

何者かになりたい

行こうぜ!政策・メディア!

本記事は、SFC Advent Calendar 201920日目です。

何を書くのか

先日以下のようなTweetを見かけた。

この「行こうぜ政策・メディア*1!」というフレーズは、もともと自分が2016年度に卒論を書いていた時に発狂して○NE ○K R○CKのような暑苦しいバンドマンのように院進を勧め流ように叫んでいたものである。 全文は以下

行こうぜ!行こうぜ政策・メディア!まずはお前らの卒論を見せてくれ!

さて、現在それから3年の時が経ち、自分は博士課程に進んだ。その中で、政策・メディア(修士課程)に進む、ということはどんなことだったのか、を書いておきたい。技術記事じゃなくてごめんなさい

 前提

自分は現在技術系研究室に所属し、ブロックチェーンの研究をしている。学部1年の頃からずっとこの研究室にいるので、ここに書くのは技術系研究室での非常に偏った視点であることは注意していただきたい。

なぜ自分が院進したか

端的に言って、就職したくなかったのである。学部3年当時バンドマンだった*2自分は、どうしても自分がその1年後に就職しているイメージがつかなかった。自分は大学に入るまで1浪しているのだが、その1年間で心に刻んだことは「浪人した意味のある大学生活にしたい」だった。4年になるにあたって、それまで漫然と過ごしてきた研究生活の中で、デジタル通貨というテーマを発見し、それがブロックチェーンという基盤技術から構成され、無限の広がりを見せている期待感もあった。そんなこんなで、デジタル通貨(ブロックチェーン)をテーマに大学院に進学することを決めた。

卒論、そして院進

卒論はボスより「3Dプリンタ」と「ブロックチェーン」で面白いことをやってくれ、とネタをもらった。それまで一回も3Dプリントなどしたことなかったが、たまたまタイミングよく受給が決まった奨学金から3Dプリンタを購入し、研究を進めた。その中で、色々論文を読み漁るようになった段階で気づいたことがあった。明らかに数学的知識や情報工学的基礎知識が足りない。 SFCでは、必修は情報基礎ぐらいしかなく、体系立って情報工学的知識*3を学ぶことは難しい。ふわふわプログラミングの授業で最終課題を適当に作っていた自分には論文に書いてあるのはかなり難しいことのように思えた。そのため、無理やり論文を読めるところだけ読み、なんとか卒論を完成させた。

卒業後は、政策・メディアに進むにあたり、ひとまず卒論の内容を国内の研究会で発表することにした。研究会なので、卒論を10ページ程度に圧縮して発表すればそれなりにウケはよかった。その後焦って無理やりジャーナルに投稿してrejectされたりもした。そんな中で、自分で簡単なブロックチェーンを実装したり、色々論文を読んだり、某横須賀の研究所にインターンに行ったりした。その中で、自分はだんだんこの「研究」をしたいのだ、という気持ちが強くなり博士課程への進学を考えることになった。あとM2になる時に結婚したりしたのだが、それはまた別の話。

政策・メディアでの気づき

M1の終わりあたりに、M2の人たちの修論発表と、後輩の卒論発表を見て気づくことがあった。それは、あるシステムを作った時に誰にとって嬉しいのかということに修士の方が非常に意識的なのである。それは研究一般に関してそうだよ、と言われればそうなのかもしれないが、自分にとっては大きな気づきであった。誰にとって嬉しいのか、ということは技術それだけを見ていても考えられるものではない。技術とは、人が作るものであり、人が使うものなのである。したがって、その技術を使う人々が形作る社会を構想しなければならないのだ。そうした意味で、社会面と技術面の融合が必要だし、文理融合が必要なのである。

また、学部から通じてSFCはアクティブ・ラーニング的なカリキュラムが組まれている。そのため、先に述べたような「情報工学的知識」は教えられるものではなく、自分から必要になったら学んでいくしかないのである。また、よく言われることとして、「卒論は所属研究室の中でその分野に関して一番詳しい、修論は日本で一番、博論は世界で一番」ということがある。そのため、自分が修士後半から徐々に感じ始めたのは、「ブロックチェーン」の技術的詳細に関しては、研究室の中で議論できる人が少なくなってきた、ということである*4。うれしい悲鳴ではあるのだが、研究を始めたばっかりのひよっ子には、何をどうしたらいいのか、わからないで苦しむ日々が続いた。

結局、政策・メディアの修士課程では、研究を必死こいて行い、論文発表をする中で、社会に対して何が必要で、この技術は何ができるのか、というのを問う力を養うことができた。専門に関する知識は、ほとんどが自学であったと思う*5

何が言いたいのか

よく「より専門を深めたいので院進します」と言う人がいる。院に行けば「研究」をすることになるので、専門は当然深まるが、それは結果であり、専門的知識が授業などで補うことができるかは疑問である。それよりかは、先にも述べたように、誰にとって、何が嬉しいのか、と言うことを設計する力の方が、よく教えられた気がする。どこの大学院でもそう言う面はあるのかもしれないが、政策・メディアは、SFCという文理融合学部の地続きになっているだけあり、その視点の趣が強いように感じた。より高度な技術や専門を深めたいのであれば、その専門の研究科を探し、そこに進学した方が良いのではないか、と思う。

自分が専門とするブロックチェーンは一特性として、技術と社会が表裏一体になっているシステムである。だからこそ面白いと思っているし、政策・メディアのような文理融合の研究科でやる意味があるのだ。本記事の読者が、SFCでどんな研究をしているかは知る余地はないが、SFCの理念に洗脳されている感銘を受けている一人として、SFCの中では、単なる技術/社会の研究だけでなく、技術が形作る社会/社会が要求する技術の研究が、盛んになることを願ってやまない。

そして修士まで進んだ君、行こうぜ!政策・メディア後期博士課程!

*1:SFCの大学院「政策・メディア研究科」のこと

*2:PVとかも作って活動していた

*3:ここでいう情報工学的知識が何を指すか、すら曖昧なくらいに

*4:そのために研究室内にブロックチェーン専門のグループを作ったりした

*5:当然教員の方々に多大なサポートを受けながら、である